なぜ自分がないのか?

どうも、TA(ティーエー)です!


自分がないという感覚…わかるでしょうか?


これは本当にわかる人にはわかるし、そうでない人にはわからないと思います。


親の毒に侵し続けられた人と、そうでない人だと、家族・親に対する価値観が違うのと同じことです。


多少の喧嘩や行き違いがあっても、子供を自立した個人として尊重してくれる家庭で育った人にとっては、
親を怨む、親のことを否定的に見るなんて、被害妄想が強い人だと思うしかも知れません。


子供を個人として認めない親は、自我を認めません。


認めるのは「親にとって都合の良い自我」だけです。


そうやってコントロールされ続けると、自分と親、自分と他者の境界がわからなくなります。


自分がないということは、自分の心の領域に侵入され、踏みにじられ続けた結果だと思います。

 

私の場合、長兄のように、自我を出し続け抵抗するほどの強さもありませんでした。
次兄のように、自我を守るために、我慢して接触をさけるという判断も出来ませんでした。


一方、父は、成人するまでは散々コントロール・介入しておきながら、成人したら、大人だから何も言わないというのが方針でした。


しかし、その頃にはもはや自分の意思も、自分が何をしたいのか、何をすると嬉しいのか辛いのか、自分の得手不得手といったことのすべてがわからなくなっていたように思います。


鳥に例えると、親鳥が雛鳥の羽や足をバキバキに砕きながら、大きくなったら、自分の羽で自由に飛び立てばいいと言われているようなものではないでしょうか。


意味がわかりません。