なぜ自分がないのか?
どうも、TA(ティーエー)です!
自分がないという感覚…わかるでしょうか?
これは本当にわかる人にはわかるし、そうでない人にはわからないと思います。
親の毒に侵し続けられた人と、そうでない人だと、家族・親に対する価値観が違うのと同じことです。
多少の喧嘩や行き違いがあっても、子供を自立した個人として尊重してくれる家庭で育った人にとっては、
親を怨む、親のことを否定的に見るなんて、被害妄想が強い人だと思うしかも知れません。
子供を個人として認めない親は、自我を認めません。
認めるのは「親にとって都合の良い自我」だけです。
そうやってコントロールされ続けると、自分と親、自分と他者の境界がわからなくなります。
自分がないということは、自分の心の領域に侵入され、踏みにじられ続けた結果だと思います。
私の場合、長兄のように、自我を出し続け抵抗するほどの強さもありませんでした。
次兄のように、自我を守るために、我慢して接触をさけるという判断も出来ませんでした。
一方、父は、成人するまでは散々コントロール・介入しておきながら、成人したら、大人だから何も言わないというのが方針でした。
しかし、その頃にはもはや自分の意思も、自分が何をしたいのか、何をすると嬉しいのか辛いのか、自分の得手不得手といったことのすべてがわからなくなっていたように思います。
鳥に例えると、親鳥が雛鳥の羽や足をバキバキに砕きながら、大きくなったら、自分の羽で自由に飛び立てばいいと言われているようなものではないでしょうか。
意味がわかりません。
愛があれば暴力は許される?
どうも、TA(ティーエー)です!
前回の続き。
高校時代、思春期の反抗が気に食わなかった父に、
寝ている所を窓ガラスに叩きつけられる程散々蹴られて自分が崩壊(と今では思っている)してからのこと。
本当に記憶がなく、覚えていないのですが、その後の父との関係なら思い出せます。
一年以上たった時のことでしょうか。
私は父が好きな野球のチームをテレビで観戦しているときに、自分からその野球チームについて何か感想を言いました。
それに対して、父も何かを言いました。
そして、少しずつ話すようになり、また父の趣味であった囲碁を覚え(ちょうどヒカルの碁も流行っていた)、父と対局をするようになりました。
会話も表面上(自分にとって)はするようになりましたが、今この年になっても父の機嫌に脅えます。
今に至るまで、父の私に対しての暴力への謝罪はありません。
父にとっては反抗的な態度も示した子供に対する「しつけ」・「立場をわからせる行為」だったので、当然のことだったのでしょう。
私は自分から父へ話しかけたことで、さらに酷く自尊心が傷ついたのだと、今では思います。
私は父の機嫌を伺いに行きました。
そう、私は服従したのです。
暴力に、父に。
生きていく上で、すべてだと思っている家の中で。
また、今でもそのこと(自分から父の機嫌を取りに行ったこと)を思うと、酷く傷つくのです。
振り返ってみると、この頃から同級生や少しでも関わる他人の顔色を伺う行動が顕著になったように思います。
どのような人であろうと、機嫌を損ねないように接そうとしていたのでしょうね。
なぜなら、機嫌を損ねると、激しく自分を攻撃され、傷つけられるから。
社会では「しつけ」と称する暴力を肯定する考えがあります。
心の中で思っている分には別に構いませんが、実行され、そのことで、自分を壊された人の思いはどうなのでしょうか。
父が私に振るった暴力。
それは愛だったでしょうか?
違うと思います。
少なくとも私はその時も、現在も、一度たりともそのように感じていません。
自分を壊すものは誰か?
どうも、TA(ティーエー)です!
前回自己紹介の中で述べた高校時代に自分を失ったという事件について書きたいと思います。
その前に、父について述べます。
父は昭和の頑固親父といった、自分は家長、反抗や口答えは許さないという価値観の持ち主。
父にとっては、子供の言い分が正しいかどうかなどどうでもよいことです。
子供が父に反発するということは、父にとっては『悪』なのです。
【兄弟それぞれの幼い頃~学生時代】
私は三人兄弟です。
長兄は、それでも父(というより主に母に対してだったようですが)に反抗して反抗して反抗しまくりました。気質は父に似ています。
次兄は、争わず部屋に閉じこもり自分を守っていたようです。
さて、私はというと、中学校くらいから納得の行かないことや押し付けに対して、少しでも反発するとすぐに威圧的な態度と大声で説教されました。机を大きな音を立てて叩きながら話すのもしょっちゅうでした。
私は抑えつけられそれ以上何も言えず、別の部屋に行って苦しくて悔しくて壁や床に当たると、また大声で呼びつけられて説教されました。
父にとっては許しがたい行いだったのでしょうね。そして、高校に入ったある時、それは起こりました。
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私はリビングで寝ていました。
すると、いきなり大きな痛みを覚えたのです。
父に蹴られたのでした。
目が覚めてわけもわからずに、丸まって身を守ろうとすると所を、父は容赦なく大声で何か怒鳴りながら、蹴り続けます。
酔っぱらっているようにも見えました。
私は吹っ飛び、窓ガラスに大きな音を立ててぶつかって、止まりました。
尚も蹴ろうとしていた父に、母と次兄が間に割って止めに入りました。
その後の記憶がありません。
私は別室にいて、母と次兄が傍らにいる中、泣きながら過呼吸状態に陥り、「もう父とは話せない…」という言葉を絞り出すように発したのでした。
その後の日々の記憶もありません。
恐らく死んだような日だったと思います。
生きづらさの原因
どうも、はじめまして、TA(ティーエー)です!
簡単に自己紹介をさせていただくと、3人兄弟の末っ子育ちで、
小さな頃から、自分というものを実感したことがなく、生き辛さを抱えてきました。
高校時代にある出来事が決定的になって自分を喪失したと、今この時点では思っているのですが、
そのことを少しずつ振り返りながら、自分や社会の中の毒親、毒家族、毒組織(ブラック会社等)について語りたいと思います。
自分が極度の怖がりだったり、何かを達成することが出来ないのは意思が弱いからだ、自覚がないからだ、人生を生き抜くという覚悟がないからだ、
と事あるごとに、思い、自分を責めてきたのですが、30代も過ぎ、最近になってまた大きな挫折を味わい、
その時はじめて、自分のこの苦しみの根本は親から幼少の頃より受け続けたモラハラ、パワハラ、暴力が原因なのではないかと、思いました。
すると、今まで自分が苦しんでいた出来事や日常の行動パターンの多くに親の影響があったことに気付いたのです。
生き辛さの根本原因は親(環境)にある。
これが答えだと思います。
しかし、いつまでも環境の要因にしていても前に進むことは出来ません。
私はそのために、自分が前に進むために、このブログを書いていきたいと思います。
また、生きづらさの原因がわからずに苦しんでいる人に、親が原因であるということに、気付いてもらえれば幸いです。